吉田正雄 (帝国議会議員)
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吉田 正雄(よしだ まさお、1847年9月24日(弘化4年8月15日[1])- 没年不詳[2])は、明治期の地主、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]陸奥国石川郡川辺村(福島県石川郡泉村を経て現玉川村)で、地主の家に生まれた[1][3]。
河野広中が石川で区長をしていた頃からの友人で、吉田光一とともに政治結社・石陽社を結成した[1][3]。福島事件が起こると特に積極的な活動を行っていなかったが、河野の友人のため警察の追及を受けて関東方面に逃亡した[1][3]。1883年(明治16年)4月過ぎに逮捕されたが、既に多くの容疑者が釈放されていたため、官吏侮辱罪に問われて重禁固一年、罰金20円の判決を受けて福島監獄で服役した[1][3]。
刑期を終えたのち、再び福島県会議員に選出され、同常置委員も務めた[1][2][3][4]。大同団結運動に加わり、1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙に自由党から出馬したが3票差で落選[1][3]。1894年(明治27年)3月、第3回総選挙に福島県第三区から出馬して当選し、次の第4回総選挙でも再選され、衆議院議員を連続2期務めた[1][2][3][4]。
大地主であったが、財産の全てを用いて政治活動を行った[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 高橋哲夫『福島民権家列伝』福島民報社、1967年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。